色んな坂に行きました。
千代田区
狐坂(きつねざか)
由来は不明。一般公開されていない坂。
梅林坂(ばいりんざか)
太田道灌がここに梅の木を植えたことによる。
汐見坂(しおみざか)
江戸最初期は皇居前が海で、この坂から海が見えたことから。
観音坂(かんのんざか)
記念為可き初めて行った坂!
……だと思っていたら、以前無意識に南部坂に行っていたので此処は二番目だと云う事が判明。
芦浦観音寺という寺があったのが由来。
幽霊坂(ゆうれいざか)
幽霊坂と云う名の坂は意外と多い。其の由来の多くは、暗くて幽霊が出そうと云う物である。
坂下
坂上
紅梅坂(こうばいざか)
個人的に此の「こうばい」と云う響きが好き。此の坂が在る場所が嘗て「東紅梅町」と云う地名だったのが由来。
皀角坂(さいかちざか)
線路沿いに在る。電車と一緒に撮ろうと思ったが待つのがめんどくさくて止めた。
昔皀莢が多く植わっていたのが由来。
一口坂(いもあらいざか)
正しい読みは「いもあらいざか」なのに、バス停も交叉点も「ひとくちざか」
直してくれないかなぁ……。
「いもあらいざか」の由来と何故「一口」の字を宛てるのかは迚もややこしいので各自ググって下さい。
行人坂(ぎょうにんざか)
昔ここに行人(仏教徒)が住んでいたことにちなむ。
南法眼坂(みなみほうがんざか)
東郷坂の別名、法眼坂の南にあったことから。
袖摺坂(そですりざか)
嘗てこの坂はとても狭い道で、すれ違う際袖と袖とが触れ合ったことにちなむ。
冬青木坂(もちのきざか)
黐の木のような木があったことから(実際は違った)。
二合半坂(にごうはんざか)
由来は諸説ありよくわからない。
三年坂(さんねんざか)
ここは昔三年町という地名だった。
三年町は三年坂に因む地名であるが、三年坂の由来は、「この坂で転んだら三年以内に死ぬ」と云う迷信かららしい。
茱萸坂(ぐみざか)
勿論御菓子のグミではない。
茱萸の木があったことにちなむ。
三べ坂(さんべざか)
坂名標が薄すぎる。
昔ここに岡部、阿部、渡辺という3つの「べ」が附く屋敷があったということに由来する。
明神男坂(みょうじんおとこざか)
神田明神に続く坂。女坂もある。
港区
南部坂(なんぶざか)
此の坂が本当の初めて行った坂。でも無意識だった。
南部坂と云う坂の名はちょいちょいあるが、「南部坂 雪の別れ」の南部坂は此の坂の事。
南部家の屋敷があったことに由来する。
けやき坂(けやきざか)
由来不明。
さくら坂(さくらざか)
桜がある
福吉坂(ふくよしざか)
旧地名は福吉町。
写真のとおり、両側をビルに挟まれた狭い階段の坂道。
しかし人通りは多い。
饂飩坂(うどんざか)
昔うどん屋があったことにちなむ。
閻魔坂(えんまざか)
悪い印象を与えるからか、名標がない。
昔閻魔堂があったことにちなむ。
安鎮坂(あんちんざか)
けっこう長い坂。
近くに安珍大権現があった。
江戸見坂(えどみざか)
その名の通り、江戸の町並みを見れることから。
新宿区
左内坂(さないざか)
此処ら辺を開発した島田左内という人の名から。
芥坂(ごみざか)
「ごみざか」と云う坂は、文字通り坂にゴミを置いた事から名が附く。
江戸時代は芥捨て場がちゃんと整備されていなかったので、目立たない場所に芥を一時的に隠して置いた。
此の芥坂は其の隠し場所に成った坂だろう。
比丘尼坂(びくにざか)
ビキニではない。
比丘尼が住んでいたことから。
軽子坂(かるこざか)
軽籠持(=軽子)がいたことにちなむ。
飯田濠から荷揚げした様子が伺える。
三年坂(さんねんざか)
神楽坂地区は坂の名標が迚も良く整備されているが、三年坂は珍しく無い。
御殿坂(ごてんざか)
御殿山に登る坂。
瓢簞坂(ひょうたんざか)
坂の途中がくびれており、その形から瓢簞坂と名付けられた。
庾嶺坂(ゆれいざか)
ここには昔美しい梅林があった。中国の梅林の名所、大庾嶺から名づけた。
逢坂(おうさか)
結構急坂。京の役人が赴任した時、ここの娘と恋に落ちた。その後役人は死んだ。娘は役人と会う夢を見た。と云う伝説が有る。
鰻坂(うなぎざか)
坂が鰻のように曲がっているから。
浄瑠璃坂(じょうるりざか)
ここであやつり浄瑠璃が行われたため。
宝竜寺坂(ほうりゅうじざか)
然う云う寺があった。
焼餅坂(やきもちざか)
焼餅を売る店があった。
此れ見難いから止めて欲しいんだよなあ。まあ無いより増しだが。
銀杏坂(いちょうざか)
銀杏稲荷があった。
合羽坂(かっぱざか)
河童がいた。
念仏坂(ねんぶつざか)
ここに終日念仏を唱える僧がいた。
自証院坂(じしょういんざか)
自証院に登る坂。
禿坂(かむろざか)
ハゲではない。
禿(かむろ)頭の子供がいた。
安保坂(あぼざか)
アホではない。
安保清種という海軍の大将が住んでいた。
暗坂(くらやみざか)
此の名前の坂もよくある。幽霊坂と由来は同じ。
津の守坂(つのかみざか)
松平摂津の守の屋敷があった。
蜀江坂(しょっこうざか)
この辺りを蜀江山と云い、其の山に向かう坂を蜀江坂と読んだ。
蜀江とは中国の地名。景色が似てるから付けたらしいが本当に似てるのかは知らん。
高力坂(こうりきざか)
高力小次郎の邸あり、そこには松があった。其の松は高力松と呼ばれており、其処からこの名がついた。
名標が見難い。
夏目坂(なつめざか)
夏目漱石が住んで居た家の前の坂らしい。
団子坂(だんござか)
昔ここら辺は湿地帯で、歩くと足が泥団子のようになっていた。
団子屋あったわけではない。
梯子坂(はしござか)
「階段」は昔「きざはし(刻梯=階)」と呼んでいた。
不動坂(ふどうざか)
大聖院境内へ入る坂。
「ふどうざか」と刻んであるらしいが、全く解らん。
よく見ると何かが彫ってあることは分かる。
多分斯うなんじゃないかと思う。
久左衛門坂(きゅうざえもんざか)
島田久左衛門さんがいた。
神楽坂(かぐらざか)
東京の坂の中ではトップクラスの知名度の坂。
由来は諸説ある。
薬王寺坂(やくおうじざか)
昔薬王寺と云う寺があった。
出羽坂(でわざか)
坂上に出羽守の屋敷ができたことから。
闇坂(くらやみざか)
都内有数の激坂。
例によって暗かったことから。
戒行寺坂(かいぎょうじざか)
戒行寺と云う寺があるから。この名標がたっているのは戒行寺門前。
鉄砲坂(てっぽうざか)
鉄砲組屋敷があった。
赤城坂(あかぎざか)
直ぐ横に赤城神社がある。
渋谷区
スペイン坂(すぺいんざか)
近くの喫茶店がスペイン風の喫茶店で、そこの店主がこの坂をスペイン坂と名づけた。
内記坂(ないきざか)
横山内記と云う人がいた。
衆楽坂(しゅうらくざか)
昔この辺りが衆楽町と云う地名だったのが由来。
道玄坂(どうげんざか)
東京の坂の中でもトップレベルに知名度が高い坂。
由来は諸説ある。
金王坂(こんのうざか)
由来は金王八幡宮と其の周辺(此の坂も含む)の旧地名「金王町」が由来。
金王町と云う地名が住居表示で消えた時、金王という名前を残す為に名無しの坂に名前を付けた。
渋谷は落書きが多いけど、王は玉になっていない。暗黙のものが有るのだろう。
宮益坂(みやますざか)
宮益町と云う地名が由来。
ネッコ坂(ねっこざか)
根っこのように曲がっていたかららしい。
勢揃坂(せいぞろいざか)
ここで軍勢を揃えて出陣したからだという。
文京区
鷺坂(さぎざか)
久世の鷺坂から肖ってつけた。
大日坂(だいにちざか)
大日堂があった
薬罐坂(やかんざか)
昔は野狐が出る坂だったらしい。野狐のことを野豻(やかん)と云い、其れが薬罐に成った。
切支丹坂(きりしたんざか)
近くに切支丹屋敷が在った事が由来。
庚申坂(こうしんざか)
庚申の碑があった
藤坂(ふじざか)
可也の急坂。而も坂上は信号なので車は急坂の真っ只中で停止しなければならない。
藤寺の前にあった。
釈迦坂(しゃかざか)
坂から徳雲寺の釈迦の像が見えたからこの名がついた。
服部坂(はっとりざか)
服部権太夫の屋敷があった
見送り坂(みおくりざか)
江戸を追放された者を見送った坂。
見返り坂(みかえりざか)
江戸を追放された者が見返りながら去っていったから。
見送り坂と見返り坂は対になっている。
ここは菊坂の谷で、昔川が流れていた。
菊坂(きくざか)
菊畑があった。
金魚坂(きんぎょざか)
金魚屋が在る事が由来。今でも金魚屋は在る。最近カフェも始めたらしい。
此の金魚屋は三百五十年もの歴史が有るらしい。
炭団坂(たどんざか)
諸説あり。
鎧坂(あぶみざか)
写真悪過ぎて御免。
由来は諸説あり。
胸突坂(むなつきざか)
写真糞過ぎて済まん。
自分の胸を突くように登らないといけなかったから。
六角坂(ろっかくざか)
六角氏の邸宅があった。
日無坂(ひなしざか)
日照時間が粗無い坂だから日無坂。
妻恋坂(つまごいざか)
妻恋神社があることに由来する。附近は旧妻恋町。
立爪坂(たてづめざか)
爪を立てて登るような坂だった。
三組坂(みくみざか)
旧三組町
ガイ坂(がいざか)
ゴミ捨て場の坂。ガイは芥の音読みの濁音化。
異人坂(いじんざか)
明治時代お雇い外国人が坂上に住んでいたから。
お化け階段(おばけかいだん)
上りと下りでは階段の段数が違うといわれたことから。
解剖坂(かいぼうざか)
日医大と大学病院の近くにある坂だから。
台東区
あかじ坂(あかじざか)
明石屋という店を経営する人がいたから。
三浦坂(みうらざか)
三浦志摩守下屋敷があった。
化粧坂(けわいざか)
吉原遊廓の近く。「けわい」は身嗜みを整えると云う意味。
昔は此処が日本堤と云う土手で、此の坂は其の土手に上がる坂だったが、今では其の土手は無くなっている。
衣紋坂(えもんざか)
日本堤から下り吉原遊廓に入る坂。今は土手が無いので坂もない。
因みに此の道が曲がっているのは遊郭の中を日本堤の土手道から見られない様にする為。
目黒区
目切坂(めきりざか)
石臼の目を切る職人が住んでいたため。
けこぼ坂(けこぼざか)
切通を作った時両側から土がこぼれ落ち、それ(崖から土がこぼれること)を目黒の方言で「けこぼ」といった。
謡坂(うたいざか)
昭和初期謡が好きな人が住んでいたという。
化坂(ばけざか)
バケは崖という意味
富士見坂(ふじみざか)
富士山が見える坂として有名だが、この日はみえなかった。
北区
六石坂(ろっこくざか)
租六石を納る水田があった
飛鳥大坂(あすかおおさか)
急なので、坂を上がるモノレール(あすかパークレール)もある。
此の坂を登った所を飛鳥山と呼んだ。
杉並区
法印坂(ほういんざか)
法印(僧の位)の住職がいる寺があった。
尻割坂(けつはりざか)
尻の筋肉が張る程急坂だったから此の名が付いた。
今は其れ程急ではない。
杉並区
そよ風坂(そよかぜざか)
微風を感じるらしい。俺は感じなかった。
タッピング坂(たっぴんぐざか)
ここもふざけた理由かと思ったら、タッピングさんという人名に由来するものらしい。
そよ風坂もこういうネーミングしてもらいたかった。
花火坂(はなびざか)
この坂からは二子玉川の花火がよく見えるらしい。
世田谷区
行火坂(あんかざか)
急坂で、登るだけで軀が熱くなるから。
調布市
売地の坂(うりちのさか)
旧京王線線路跡で、線路が移転した時に売り地になったからこの名がついた。
施無畏の坂(せむいのさか)
昔施無畏学園と云う学校があったらしい。
だんだら坂(だんだらざか)
だらだらと長い坂というのが由来。
十王坂(じゅうおうざか)
十王堂があるというのが由来
ハケツラの坂(はけつらのさか)
ハケは崖のこと。ハゲツラではない。
玉華園の坂(ぎょくがえんのさか)
昔玉華園と云う遊園地があったのが由来らしい。
三軒山の坂(さんげんやまのさか)
三軒山は坂の西側の通称地名。
どかどか坂(どかどかざか)
由来はよくわからない。
稲城市
赤坂(あかさか)
坂の途中からの景色
赭土の坂だったのだろう。
多摩市
いろは坂(いろはざか)
九十九折の様子から。
耳をすませばにモデルとして出た坂。
レンガ坂(れんがさか)
煉瓦でできている坂だから。
ベートの坂(べーとのさか)
別当坂の転訛らしい。
ころがっと坂(ころがっとざか)
昔この坂下に処刑場があった。坂上から罪人を処刑場まで送る際に、罪人が先に進もうとしないので、背中を押して転がすように無理やり前に進ませたのが由来。
へっぴり坂(へっぴりざか)
屁っ放り腰になる坂
沓切坂(くつきりざか)
この坂の下は「坂下」と云う地名で、坂下バス停がある。
ウィキペディアにも項目がある。
山の婆坂(やまのばばざか)
この近くに身長2㍍はあるというババアが出るという伝説にちなむ。荅をといでいて近づいた人を脅かしたという。
鶴牧さくら坂(つるまきさくらざか)
名前の通り、桜が植えてある。
町田市
ソウメン坂(そうめんざか)
流しそうめんでもやったんですかね
八王子市
九兵衛坂(きゅうべいざか)
/人◕ ‿‿ ◕人\
狐坂(きつねざか)
由来は不明。一般公開されていない坂。
梅林坂(ばいりんざか)
太田道灌がここに梅の木を植えたことによる。
汐見坂(しおみざか)
江戸最初期は皇居前が海で、この坂から海が見えたことから。
観音坂(かんのんざか)
記念為可き初めて行った坂!
……だと思っていたら、以前無意識に南部坂に行っていたので此処は二番目だと云う事が判明。
芦浦観音寺という寺があったのが由来。
幽霊坂(ゆうれいざか)
幽霊坂と云う名の坂は意外と多い。其の由来の多くは、暗くて幽霊が出そうと云う物である。
坂下
坂上
紅梅坂(こうばいざか)
個人的に此の「こうばい」と云う響きが好き。此の坂が在る場所が嘗て「東紅梅町」と云う地名だったのが由来。
皀角坂(さいかちざか)
線路沿いに在る。電車と一緒に撮ろうと思ったが待つのがめんどくさくて止めた。
昔皀莢が多く植わっていたのが由来。
一口坂(いもあらいざか)
正しい読みは「いもあらいざか」なのに、バス停も交叉点も「ひとくちざか」
直してくれないかなぁ……。
「いもあらいざか」の由来と何故「一口」の字を宛てるのかは迚もややこしいので各自ググって下さい。
行人坂(ぎょうにんざか)
昔ここに行人(仏教徒)が住んでいたことにちなむ。
南法眼坂(みなみほうがんざか)
東郷坂の別名、法眼坂の南にあったことから。
袖摺坂(そですりざか)
嘗てこの坂はとても狭い道で、すれ違う際袖と袖とが触れ合ったことにちなむ。
冬青木坂(もちのきざか)
黐の木のような木があったことから(実際は違った)。
二合半坂(にごうはんざか)
由来は諸説ありよくわからない。
三年坂(さんねんざか)
ここは昔三年町という地名だった。
三年町は三年坂に因む地名であるが、三年坂の由来は、「この坂で転んだら三年以内に死ぬ」と云う迷信かららしい。
茱萸坂(ぐみざか)
勿論御菓子のグミではない。
茱萸の木があったことにちなむ。
三べ坂(さんべざか)
坂名標が薄すぎる。
昔ここに岡部、阿部、渡辺という3つの「べ」が附く屋敷があったということに由来する。
明神男坂(みょうじんおとこざか)
神田明神に続く坂。女坂もある。
港区
南部坂(なんぶざか)
此の坂が本当の初めて行った坂。でも無意識だった。
南部坂と云う坂の名はちょいちょいあるが、「南部坂 雪の別れ」の南部坂は此の坂の事。
南部家の屋敷があったことに由来する。
けやき坂(けやきざか)
由来不明。
さくら坂(さくらざか)
桜がある
福吉坂(ふくよしざか)
旧地名は福吉町。
写真のとおり、両側をビルに挟まれた狭い階段の坂道。
しかし人通りは多い。
饂飩坂(うどんざか)
昔うどん屋があったことにちなむ。
閻魔坂(えんまざか)
悪い印象を与えるからか、名標がない。
昔閻魔堂があったことにちなむ。
安鎮坂(あんちんざか)
けっこう長い坂。
近くに安珍大権現があった。
江戸見坂(えどみざか)
その名の通り、江戸の町並みを見れることから。
新宿区
左内坂(さないざか)
此処ら辺を開発した島田左内という人の名から。
芥坂(ごみざか)
「ごみざか」と云う坂は、文字通り坂にゴミを置いた事から名が附く。
江戸時代は芥捨て場がちゃんと整備されていなかったので、目立たない場所に芥を一時的に隠して置いた。
此の芥坂は其の隠し場所に成った坂だろう。
比丘尼坂(びくにざか)
ビキニではない。
比丘尼が住んでいたことから。
軽子坂(かるこざか)
軽籠持(=軽子)がいたことにちなむ。
飯田濠から荷揚げした様子が伺える。
三年坂(さんねんざか)
神楽坂地区は坂の名標が迚も良く整備されているが、三年坂は珍しく無い。
御殿坂(ごてんざか)
御殿山に登る坂。
瓢簞坂(ひょうたんざか)
坂の途中がくびれており、その形から瓢簞坂と名付けられた。
庾嶺坂(ゆれいざか)
ここには昔美しい梅林があった。中国の梅林の名所、大庾嶺から名づけた。
逢坂(おうさか)
結構急坂。京の役人が赴任した時、ここの娘と恋に落ちた。その後役人は死んだ。娘は役人と会う夢を見た。と云う伝説が有る。
鰻坂(うなぎざか)
坂が鰻のように曲がっているから。
浄瑠璃坂(じょうるりざか)
ここであやつり浄瑠璃が行われたため。
宝竜寺坂(ほうりゅうじざか)
然う云う寺があった。
焼餅坂(やきもちざか)
焼餅を売る店があった。
此れ見難いから止めて欲しいんだよなあ。まあ無いより増しだが。
銀杏坂(いちょうざか)
銀杏稲荷があった。
合羽坂(かっぱざか)
河童がいた。
念仏坂(ねんぶつざか)
ここに終日念仏を唱える僧がいた。
自証院坂(じしょういんざか)
自証院に登る坂。
禿坂(かむろざか)
ハゲではない。
禿(かむろ)頭の子供がいた。
安保坂(あぼざか)
アホではない。
安保清種という海軍の大将が住んでいた。
暗坂(くらやみざか)
此の名前の坂もよくある。幽霊坂と由来は同じ。
津の守坂(つのかみざか)
松平摂津の守の屋敷があった。
蜀江坂(しょっこうざか)
この辺りを蜀江山と云い、其の山に向かう坂を蜀江坂と読んだ。
蜀江とは中国の地名。景色が似てるから付けたらしいが本当に似てるのかは知らん。
高力坂(こうりきざか)
高力小次郎の邸あり、そこには松があった。其の松は高力松と呼ばれており、其処からこの名がついた。
名標が見難い。
夏目坂(なつめざか)
夏目漱石が住んで居た家の前の坂らしい。
団子坂(だんござか)
昔ここら辺は湿地帯で、歩くと足が泥団子のようになっていた。
団子屋あったわけではない。
梯子坂(はしござか)
「階段」は昔「きざはし(刻梯=階)」と呼んでいた。
不動坂(ふどうざか)
大聖院境内へ入る坂。
「ふどうざか」と刻んであるらしいが、全く解らん。
よく見ると何かが彫ってあることは分かる。
多分斯うなんじゃないかと思う。
久左衛門坂(きゅうざえもんざか)
島田久左衛門さんがいた。
神楽坂(かぐらざか)
東京の坂の中ではトップクラスの知名度の坂。
由来は諸説ある。
薬王寺坂(やくおうじざか)
昔薬王寺と云う寺があった。
出羽坂(でわざか)
坂上に出羽守の屋敷ができたことから。
闇坂(くらやみざか)
都内有数の激坂。
例によって暗かったことから。
戒行寺坂(かいぎょうじざか)
戒行寺と云う寺があるから。この名標がたっているのは戒行寺門前。
鉄砲坂(てっぽうざか)
鉄砲組屋敷があった。
赤城坂(あかぎざか)
直ぐ横に赤城神社がある。
渋谷区
スペイン坂(すぺいんざか)
近くの喫茶店がスペイン風の喫茶店で、そこの店主がこの坂をスペイン坂と名づけた。
内記坂(ないきざか)
横山内記と云う人がいた。
衆楽坂(しゅうらくざか)
昔この辺りが衆楽町と云う地名だったのが由来。
道玄坂(どうげんざか)
東京の坂の中でもトップレベルに知名度が高い坂。
由来は諸説ある。
金王坂(こんのうざか)
由来は金王八幡宮と其の周辺(此の坂も含む)の旧地名「金王町」が由来。
金王町と云う地名が住居表示で消えた時、金王という名前を残す為に名無しの坂に名前を付けた。
渋谷は落書きが多いけど、王は玉になっていない。暗黙のものが有るのだろう。
宮益坂(みやますざか)
宮益町と云う地名が由来。
ネッコ坂(ねっこざか)
根っこのように曲がっていたかららしい。
勢揃坂(せいぞろいざか)
ここで軍勢を揃えて出陣したからだという。
文京区
鷺坂(さぎざか)
久世の鷺坂から肖ってつけた。
大日坂(だいにちざか)
大日堂があった
薬罐坂(やかんざか)
昔は野狐が出る坂だったらしい。野狐のことを野豻(やかん)と云い、其れが薬罐に成った。
切支丹坂(きりしたんざか)
近くに切支丹屋敷が在った事が由来。
庚申坂(こうしんざか)
庚申の碑があった
藤坂(ふじざか)
可也の急坂。而も坂上は信号なので車は急坂の真っ只中で停止しなければならない。
藤寺の前にあった。
釈迦坂(しゃかざか)
坂から徳雲寺の釈迦の像が見えたからこの名がついた。
服部坂(はっとりざか)
服部権太夫の屋敷があった
見送り坂(みおくりざか)
江戸を追放された者を見送った坂。
見返り坂(みかえりざか)
江戸を追放された者が見返りながら去っていったから。
見送り坂と見返り坂は対になっている。
ここは菊坂の谷で、昔川が流れていた。
菊坂(きくざか)
菊畑があった。
金魚坂(きんぎょざか)
金魚屋が在る事が由来。今でも金魚屋は在る。最近カフェも始めたらしい。
此の金魚屋は三百五十年もの歴史が有るらしい。
炭団坂(たどんざか)
諸説あり。
鎧坂(あぶみざか)
写真悪過ぎて御免。
由来は諸説あり。
胸突坂(むなつきざか)
写真糞過ぎて済まん。
自分の胸を突くように登らないといけなかったから。
六角坂(ろっかくざか)
六角氏の邸宅があった。
日無坂(ひなしざか)
日照時間が粗無い坂だから日無坂。
妻恋坂(つまごいざか)
妻恋神社があることに由来する。附近は旧妻恋町。
立爪坂(たてづめざか)
爪を立てて登るような坂だった。
三組坂(みくみざか)
旧三組町
ガイ坂(がいざか)
ゴミ捨て場の坂。ガイは芥の音読みの濁音化。
異人坂(いじんざか)
明治時代お雇い外国人が坂上に住んでいたから。
お化け階段(おばけかいだん)
上りと下りでは階段の段数が違うといわれたことから。
解剖坂(かいぼうざか)
日医大と大学病院の近くにある坂だから。
台東区
あかじ坂(あかじざか)
明石屋という店を経営する人がいたから。
三浦坂(みうらざか)
三浦志摩守下屋敷があった。
化粧坂(けわいざか)
吉原遊廓の近く。「けわい」は身嗜みを整えると云う意味。
昔は此処が日本堤と云う土手で、此の坂は其の土手に上がる坂だったが、今では其の土手は無くなっている。
衣紋坂(えもんざか)
日本堤から下り吉原遊廓に入る坂。今は土手が無いので坂もない。
因みに此の道が曲がっているのは遊郭の中を日本堤の土手道から見られない様にする為。
目黒区
目切坂(めきりざか)
石臼の目を切る職人が住んでいたため。
けこぼ坂(けこぼざか)
切通を作った時両側から土がこぼれ落ち、それ(崖から土がこぼれること)を目黒の方言で「けこぼ」といった。
謡坂(うたいざか)
昭和初期謡が好きな人が住んでいたという。
化坂(ばけざか)
バケは崖という意味
富士見坂(ふじみざか)
富士山が見える坂として有名だが、この日はみえなかった。
北区
六石坂(ろっこくざか)
租六石を納る水田があった
飛鳥大坂(あすかおおさか)
急なので、坂を上がるモノレール(あすかパークレール)もある。
此の坂を登った所を飛鳥山と呼んだ。
杉並区
法印坂(ほういんざか)
法印(僧の位)の住職がいる寺があった。
尻割坂(けつはりざか)
尻の筋肉が張る程急坂だったから此の名が付いた。
今は其れ程急ではない。
杉並区
そよ風坂(そよかぜざか)
微風を感じるらしい。俺は感じなかった。
タッピング坂(たっぴんぐざか)
ここもふざけた理由かと思ったら、タッピングさんという人名に由来するものらしい。
そよ風坂もこういうネーミングしてもらいたかった。
花火坂(はなびざか)
この坂からは二子玉川の花火がよく見えるらしい。
世田谷区
行火坂(あんかざか)
急坂で、登るだけで軀が熱くなるから。
調布市
売地の坂(うりちのさか)
旧京王線線路跡で、線路が移転した時に売り地になったからこの名がついた。
施無畏の坂(せむいのさか)
昔施無畏学園と云う学校があったらしい。
だんだら坂(だんだらざか)
だらだらと長い坂というのが由来。
十王坂(じゅうおうざか)
十王堂があるというのが由来
ハケツラの坂(はけつらのさか)
ハケは崖のこと。ハゲツラではない。
玉華園の坂(ぎょくがえんのさか)
昔玉華園と云う遊園地があったのが由来らしい。
三軒山の坂(さんげんやまのさか)
三軒山は坂の西側の通称地名。
どかどか坂(どかどかざか)
由来はよくわからない。
稲城市
赤坂(あかさか)
坂の途中からの景色
赭土の坂だったのだろう。
多摩市
いろは坂(いろはざか)
九十九折の様子から。
耳をすませばにモデルとして出た坂。
レンガ坂(れんがさか)
煉瓦でできている坂だから。
ベートの坂(べーとのさか)
別当坂の転訛らしい。
ころがっと坂(ころがっとざか)
昔この坂下に処刑場があった。坂上から罪人を処刑場まで送る際に、罪人が先に進もうとしないので、背中を押して転がすように無理やり前に進ませたのが由来。
へっぴり坂(へっぴりざか)
屁っ放り腰になる坂
沓切坂(くつきりざか)
この坂の下は「坂下」と云う地名で、坂下バス停がある。
ウィキペディアにも項目がある。
山の婆坂(やまのばばざか)
この近くに身長2㍍はあるというババアが出るという伝説にちなむ。荅をといでいて近づいた人を脅かしたという。
鶴牧さくら坂(つるまきさくらざか)
名前の通り、桜が植えてある。
町田市
ソウメン坂(そうめんざか)
流しそうめんでもやったんですかね
八王子市
九兵衛坂(きゅうべいざか)
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