西新宿などの新宿の地名集めました。
新宿/追分/添地町/歌舞伎町/十人町/五十人町/百人町/渡邊土手際/旭町/火除ヶ/角筈/十二社/淀橋/角筈本村/豊水/小淀町/柏木/淀橋姿/蜀江山/雷ヶ窪
新宿の地名はこちら(番衆町など)
其の他新宿の地名はこちら(角筈裏のみ)
架空s
現:東京都新宿区新宿
地図
ご存知「新宿」です。西新宿の地名とか言っといていきなり例外ですみません。態々取り上げる必要はないと思われるかもしれないけど、一つ言いたいことがあるので取り上げました。
「新宿」といえば、イメージとしては新宿駅周辺という感じですが、実際の新宿はもっと東にあります。
新宿駅周辺は、角筈という地名で新宿とは別でしたが、住居表示などにより角筈は新宿(三丁目の西部)、西新宿になりました。
本来新宿駅は追分あたりに開業する計劃だったのですが、反対運動で現在の場所に開業したようです。
昔は新宿三丁目駅のあたりが新宿の西端で、そこには青梅街道と甲州街道が別れる追分がありました。この追分は今でもあり、ちょうど新宿三丁目交叉点の場所が、正に追分でした。
新宿は昔は内藤新宿、又は四谷新宿と呼ばれていました。
そして新宿は大きく分けて上町(内藤新宿上町)、仲町(内藤新宿仲町)、下町(内藤新宿下町)とあり、概ね新宿三丁目(西部を除く)が上町、二丁目が仲町、一丁目が下町でした。
つまり新宿一~三丁目東部以外は狭義では新宿ではない別の地でした。
新宿の東端には大木戸と云う木製の門があり、この辺りを大木戸、又は四谷大木戸と云っていました。現在の四谷四丁目交叉点です。
新宿のメーンストリートは青梅街道、現在の新宿通りで、靖国通りは昔でした。
新宿

架空お
現:東京都新宿区新宿三丁目
地図
現役だと思いたい。多分タクシーで「追分まで」といえば正しい場所に連れてってもらえると思う。
場所については上で書いたとおり新宿三丁目交叉点。
ここには追分交番、新宿追分ビルなどがある。
京王線は以前ここまで走っていて、現在の新線新宿駅が在る場所は「葵橋駅」、そこから新宿跨線橋上に国鉄乗換駅の「省線新宿駅前駅」、そして追分で「京王新宿駅」というふうになっていた。
しかし戦争で変電所が駄目になり、電圧不足で新宿跨線橋を越せなくなる(跨線橋を越せん今日)と、代替地として現在の新宿駅に京王新宿駅が移転した。その後追分には新宿三丁目駅しかなくなってしまった。
変電所がダメージを受けなければ、「新宿」の中心は今よりももう少し東にあったのかもしれない。
因みに追分の京王新宿駅では、路面電車の「追分停留所」に乗り換えができた。
追分

3440b1d70a0c42cdd61aac335d740cc0
現:東京都新宿区新宿三丁目16番地、15番地東、17番地東
旧:東京府豐多摩󠄁郡內藤󠄃新宿町大字內藤󠄃新宿添地町
1920年(大正九年)に新宿三丁目の一部となる。
地図
大雑把にいうと、五十人町と市電車庫(現:伊勢丹)の間の区域が添地町です。
東京市及接続郡部地籍地図ゟ。赤線の区間。
da33b1a43cb614c6cb0b951dc89a80a2
以前は内藤新宿添地町で、江戸時代まで各地にあった飛び地の総称のような地名だった。
添地町

架空k
現:東京都新宿区歌舞伎町
地図
「歌舞伎」を含む地名は日本全国でここしかない。
歌舞伎町は角筈一丁目の一部を歌舞伎座誘致のため改名し、1948年4月1日に誕生した。
しかし結局歌舞伎座の誘致は失敗した。
その後歌舞伎町は住居表示で範囲を拡大し、現在の歌舞伎町ができた。
IMG_2433
IMG_4231

c6951dfbb0a30a0c949868780f3255ed
現:東京都新宿区歌舞伎町一丁目2番地(北除く)、3~19番地
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字⻆筈字十人町
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、角筈一丁目となる。
地図
概ね現在の歌舞伎町一丁目の西部以外。
昔ここには大村邸があった。なお、池の周辺は大村の山と呼ばれていた。
十人町

b026ea53c4824b6b9d8c42190069c37d
現:東京都新宿区新宿三丁目18~25番地
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字⻆筈字五十人町
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、角筈一丁目となる。
地図
ヤマダ電機やアルタがあるあたり。
五十人町
十人町、五十人町の地図
十人町、五十人町

架空h
現:東京都新宿区百人町
地図
まあこういう流れで、百人町も紹介します。
百人町は、昔この地に百人組があったのが由来。江戸時代までは大久保百人大縄屋敷と呼ばれていた。
10→50→100とくれば、次は五百人町ができるだろう。
因みに、十人町と五十人町は角筈だが、百人町は大久保だった。
IMG_3324

f42670e4b5e4e986743e1065685b08b3
現:東京都新宿区新宿三丁目18~25番地
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字⻆筈字渡邊土手際
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、角筈一丁目となる。
地図
新宿駅直ぐ東の区域。
北端に青梅街道、南端に甲州街道が走る。
昔は渡邊と土手際は別の地名だったらしいが、いつの間にか合体していた。
渡邊は土手際以外の地。
土手際は現在の西新宿一丁目1番地6、7号の部分など。正確には甲州街道と旧玉川上水に挟まれた部分。
この地は江戸時代まで内藤新宿添地町の一部だった。
渡邊とは、この地を開発した渡邊與兵衛のことである。
土手にはちょうどJRが通っている。この土手は明治時代には通称摺鉢山と呼ばれた。
渡邊
渡邊土手際
渡邊土手際IMG_4502
土手際
IMG_4929
渡辺土手際の地図
ca7abe91

742d73113707fcf7af2d2e70ad64da90
現:東京都新宿区新宿四丁目
旧:東京都新宿区旭町
1947年(昭和廿二年)に全域が新宿四丁目となる。
地図
この町名は1920年(大正九年)に内藤新宿南町が改称したもの。
なので旭町は1920から1947のたった27年間しか現役でない短命な地名だった。
しかしこの地には更に短命だった地名がある。
内藤新宿南町は明治二年に広島町と天竜寺(境内)を合併して誕生した町名だが、この広島町という地名は明治元年に誕生した地名だ。1年しか使われていない。
広島町は四谷天竜寺門前と長延寺門前を合併してできた町名である。
つまり
明治元年:四谷天竜寺門前+長延寺門前→広島町
明治二年:広島町+天竜寺(境内)→内藤新宿南町
大正九年:内藤新宿南町→旭町
昭和廿二年:旭町→新宿四丁目
ということ。
旭町
旭町

f667b78cbf23691f767a44cb131a4bf3
現:東京都渋谷区代々木二丁目2番地北半分、7、8番地
旧:東京府豐多摩󠄁郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷字火除ヶ
1947年(昭和廿二年)に全域が新宿四丁目となる。
地図
新宿じゃないけど近かったので……
火除とも表記される。
昔は火除地として使われた空き地だった。
火除ヶ
火除ヶ

29d916df0fb35439b512056c1dbac5cc
現:東京都新宿区西新宿、新宿三丁目、歌舞伎町一丁目の一部
旧:東京都新宿区角筈
1970~73年に大部分が消滅、1978年(昭和五十三年)に完全消滅
地図
みんな大好き角筈です。
どうもこの地名は意図的に消されたように思える(淀橋、柏木もそう感じるけど)。西新宿ってなんだよ……。
この地名は消滅した現在でもよく目にすることができて、現在では通称地名としての余生を送っているようにみえる。
昔は角筈新町と呼ばれていて、京王線の新町駅が南にありました。
因みに甲州街道の向かい側から旧玉川上水の間は豊多摩郡千駄ヶ谷町大字千駄ヶ谷字新町でした。
BlogPaint
BlogPaint
IMG_3346
角筈

233d480d2d0577cae5be1e9fe07b3d8e
現:東京都新宿区西新宿二丁目、四丁目の一部
旧:東京都新宿区十二社
1970年(昭和45年)消滅
地図
こちらも有名な新宿の旧地名。
元は角筈の小字でした。
十二社通りなどに地名が残る。
十二社は熊野神社の別名で、十二叢、十二双、十二相、十二処などとも表記された。
BlogPaint
十二社にはこのような景色もまだまだ有ります。
IMG_3227
十二社

c98ad49f182409157ec53b305e39ab4e
現:東京都新宿区西新宿四~六丁目
旧:東京都新宿区淀橋
1970年(昭和45年)消滅
地図
ヨドバシカメラで御馴染淀橋です。ただヨドバシカメラは淀橋区という意味なので新宿区淀橋にはありませんでした。
以前は淀橋の架かる東詰の南部分の地域をいう小字だった。
淀橋は現在再開発真っ盛りなので、旧地名を見るなら早めに行っておきましょう。
IMG_4917
BlogPaint
BlogPaint
BlogPaint
IMG_3235
IMG_3233
再開発中の淀橋
IMG_3240
IMG_3242
IMG_3243
IMG_3245
IMG_3248
IMG_3249
IMG_3251
IMG_3261
地名の由来となった淀橋
IMG_3292
淀橋

e1055ee0d796fea4749400248d22cd19
現:東京都新宿区西新宿五丁目の南中央
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字⻆筈字本村
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、淀橋となる。
地図
淀橋の東側です。
角筈が附く地名は、角筈新町、角筈本村、角筈裏の3つです。
単に本村とも。
角筈本村
角筈本村8c9231eb
角筈本村

1a772e28c3e8f36fdbd1df65d753b350
現:東京都新宿区新宿五丁目北部
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字⻆筈字長町
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、淀橋となる。
地図
字長町の小名。
現地には神田川が流れ、豊水橋が架かる。
IMG_3264
豊水

f5974ec6c7dee15da8d87631cbb63f92
現:東京都中野区中央一丁目(南部除く)
旧:東京都中野区小淀町
1932年(昭和七年)に近隣の小字と合併し、淀橋となる。
地図
昔は小淀という小字だった。
淀橋の西詰にあり、淀の字の通り町名は淀橋が由来だろう。
IMG_3284
BlogPaint
小淀町

639d3df38dda42b874945a1c9d27cfec
現:東京都新宿区西新宿六~八丁目、北新宿一~四丁目
旧:東京都新宿区柏木
1970年(昭和45年)消滅
地図
柏木は旧柏木村全域で、範囲が広い。
小字では成子坂の「成子」、小滝橋通りの「小滝橋」が有名です。
東中野駅は昔、柏木駅という名前でした(東中野駅は中野区にある)
IMG_3297
BlogPaint
BlogPaint
柏木は住宅地で、狭い道もかなりある。
淀橋姿IMG_3301
淀橋姿IMG_3299
淀橋姿IMG_3305
柏木

a42d8e52738eb8982bb59ca2ce7a7e26
現:東京都新宿区北新宿二丁目南西
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字柏木字淀橋姿
1932年(昭和七年)消滅
地図
「淀橋姿」で「よどばし」と読みます。
この姿と云うのは、淀橋の旧称「姿見ずの橋」の姿です。
姿見ずの橋の由来は、この橋を渡った花嫁は行方不明になると云う伝説かららしい。
IMG_3295
淀橋姿

04bffb575cecdc6a418f1ca423c7dbe1
現:東京都新宿区北新宿一丁目西ちょい南
旧:東京府豐多摩󠄁郡淀橋町大字柏木字蜀江山
1932年(昭和七年)消滅
地図
蜀江とは中国の地名らしい。当地が蜀江に似た風景だったので蜀江山と名付けたらしい。
蜀江山には蜀江坂がある。
古い文献には蜀江山に「ツツジヤマ」と振り仮名がある。
蜀江山
蜀江山

3d505c79c1d395ff1c70347667888ae6
現:東京都新宿区西新宿一丁目と七丁目の境あたり
旧:武藏󠄃國豐嶋郡⻆筈村字矢塲
消滅時期不明
地図
通称地名。雷久保とも。
1723年(享保八年)、ここに葬式へ向かう列が差し掛かった時、急に激しい雷雨に見舞われた。
これは怨霊の為業だとなり、この地に雷ヶ窪のち名が附いた。
今の新都心歩道橋から新宿大ガードあたりの窪地を云う。
ここに新宿大ガードがあるのは、ここが凹地で立体交差がしやすいからだ。
雷ヶ窪
BadfWTOCMAE7pDw