新宿(1885):東京府南豊島郡角筈村字渡辺土手際 (約230㍍先に内藤新宿町)
代々木(1906):東京府豊多摩郡千駄ヶ谷村大字千駄ヶ谷字新田 (約430㍍先に代々幡村大字代々木
原宿(1906):東京府豊多摩郡代々幡村大字代々木字外輪 (約5㍍先に大字原宿
渋谷(1885):東京府南豊島郡中渋谷村字並木前
恵比寿(1901):東京府豊多摩郡渋谷村大字下渋谷字広尾向 (企業由来 恵比寿麦酒製造所は約400㍍先)
目黒(1885):東京府荏原郡上大崎村字長峰通 (約100㍍先に下目黒村)
五反田(1911):東京府荏原郡大崎町大字上大崎字子ノ神下 (約20㍍先に字五反田
大崎(1901):東京府荏原郡大崎村大字居木橋字宮前
品川(1872):東京府荏原郡高輪南町 (約500㍍先に品川歩行新宿←自治体名)
田町(1909):東京府東京市芝区芝田町一丁目
浜松町(1909):東京府東京市芝区芝浜崎町 (約5㍍先に芝浜松町二丁目)
新橋(1909):東京府東京市芝区烏森町 (開業時の駅名は「烏森駅」 新橋は約300m先に架かる橋名)
有楽町(1910):東京府東京市麴町区有楽町二丁目
東京(1914):東京東京市麴町区永楽町一丁目
神田(1919):東京府東京市神田区新石町
秋葉原(1890):東京府東京市神田区神田花岡町 (通称地名「秋葉原(あきばはらorあきばっぱら)」が駅当地にある)
御徒町(1925):東京府東京市下谷区仲御徒町三丁目 (約175㍍先に御徒町
上野(1883):東京府下谷区上野山下町
鶯谷(1912):東京府東京市下谷区上野桜木町 鶯谷は約1㌖先にある谷中の通称地名)
日暮里(1905):東京府日暮里村大字谷中本字居坂上
西日暮里(1971):東京都荒川区西日暮里五丁目
田端(1896):東京府北豊島郡滝野川村大字田端字峡附
駒込(1910):東京府北豊島郡巣鴨町大字上駒込字伝中
巣鴨(1903):東京府北豊島郡巣鴨町大字巣鴨二丁目
大塚(1903):東京府北豊島郡巣鴨村大字巣鴨字宮仲 (約600㍍先に大塚
池袋(1903):東京府北豊島郡巣鴨村大字池袋字蟹ヶ窪? (字原かも)
目白(1885):東京府北豊島郡高田村字金久保沢 (通称地名。約1300㍍先の目白不動が由来)
高田馬場(1910):東京府豊多摩郡戸塚村大字戸塚字清水川 (高田馬場(たかたのばば)は施設名。約1㌖先にある)
新大久保(1914):東京府豊多摩郡大久保村大字大久保百人町字仲通

駅名と地名が一致している駅(15/29)
渋谷、大崎、田町、有楽町、東京、神田、秋葉原、上野、日暮里、西日暮里、田端、駒込、巣鴨、池袋、大久保
駅名と地名が一致していない駅(14/29)
原宿(5㍍)、浜松町(5㍍)、五反田(20㍍)、目黒(100㍍)、御徒町(175㍍)、新宿(230㍍)、新橋(300㍍)、恵比寿(400㍍)、代々木(430㍍)、品川(500㍍)、大塚(600㍍)、鶯谷(1000㍍)、高田馬場(1000㍍)、目白(1300㍍)
みて分かる通り、半数もの駅が地名とは違う駅名を名乗っている。
この内、原宿、浜松町、五反田は誤差の範囲内だろう。だが、誤差の範囲内でも、そこもその地名とは違うのだから適当な駅名とはいい難い。
新宿、目白、大塚など本来は地名通りの場所を通る予定だったのがルート変更で通らなくなった際に、通る予定地の地名を継承して駅名にしている例が幾つか見受けられる。

駅名の影響力は絶大で、駅名は地名と同じように使われる(「目白に行く」といえば、目白駅周辺のことで、目白不動に行くわけではない。縦令武蔵小杉など富山の小杉駅との区別のための冠称がついていようが、学芸大学のように施設であっても)
現代の我々の意識からすると、此処まで地名と駅名が乖離しているとは到底思えない。
それもそのはずで、現在の地名には、駅名に引きづられて駅のある場所が駅名の地名になったというパターンが多々あるからだ。
実際に現在の駅の住所をあげるとよくわかる。
新宿:東京都新宿区西新宿一丁目 (新宿区新宿は現存)
代々木:東京都渋谷区代々木一丁目
原宿:東京都渋谷区神宮前一丁目
渋谷:東京都東京都渋谷区道玄坂一丁目
恵比寿:東京都渋谷区恵比寿南一丁目
目黒:東京都品川区上大崎二丁目 (約100㍍先に目黒目黒
五反田:東京都品川区東五反田一丁目
大崎:東京都品川区大崎三丁目
品川:東京都港区高輪三丁目 (約500㍍先に品川区北品川、その南に南品川
田町:東京都港区芝五丁目
浜松町:東京都港区海岸一丁目 (約5㍍先に港区浜松町
新橋:東京都港区新橋二丁目
有楽町:東京都千代田区有楽町二丁目
東京東京都千代田区丸の内一丁目
神田:東京都千代田区鍛冶町二丁目
秋葉原:東京都千代田区外神田一丁目 (約400㍍先に台東区秋葉原(あきはばら)(この秋葉原については此方を参照)
御徒町:東京都台東区上野五丁目
上野:東京都台東区上野七丁目
鶯谷:東京都台東区根岸一丁目
日暮里:東京都荒川区西日暮里二丁目 (約100㍍先に東日暮里
西日暮里:東京都荒川区西日暮里五丁目 (開業時から住所変わらず)
田端:東京都北区田端一丁目
駒込:東京都豊島区駒込一丁目
巣鴨:東京都豊島区巣鴨一丁目
大塚:東京都豊島区南大塚三丁目
池袋:東京都豊島区西池袋一丁目
目白:東京都豊島区目白三丁目
高田馬場:東京都新宿区高田馬場四丁目
新大久保:東京都新宿区百人町一丁目 (約200㍍先に大久保
この中で、駅名と地名が違う駅は
原宿、品川、田端、浜松町、神田、秋葉原、御徒町、新大久保だけだ。
この内駅開業当時から正しい駅名だった駅を除くと
原宿、目黒、品川、浜松町、御徒町の4駅。原宿、浜松町は誤差の範囲だから2駅といってもいい。
そしてこの中で違和感を抱くのは、せいぜい「北品川駅の北にあり、品川区でない品川駅」、「中目黒駅から遠く、目黒区でない目黒駅」くらいだろう。
だから、山手線の駅名が地名と乖離していると思えなくても無理は無いし、実際現在ではほぼ乖離していない。
しかしこれは先に述べた駅名に引きづられて駅のある場所が駅名の地名になった所為だ。
地名と駅名の乖離が解消された駅は
代々木、恵比寿、五反田、新橋、大塚、目白、高田馬場だが、これは言い換えればつまり地名が駅名に引きづられたということだ。
目白は1932年、目白不動ではなく目白駅附近が目白町と命名され、その後住居表示で目白となった。
目白不動の地名は東京都豊島区高田二丁目と、目白ですらない。目白駅の由来になった目白不動が目白ではない!
高田馬場は、住所の読みも「たかだのばば」で、施設名「たかたのばば」とは違う。「たかたのばば」があった近くには、新宿区馬場下町という地名がある。これ は勿論「たかたのばば」の下にある町という意味だが、新宿区高田馬場ができてからは意味の分からない地名となってしまった。更に、「たかた のばば」があった場所は現在西早稲田三丁目と、こちらも新宿区高田馬場ではない。
恵比寿は由来となった恵比寿麦酒製造所の一部が渋谷区恵比寿四丁目だが、中心部は目黒区三田一丁目になっている。
大塚駅は
現在の住所では南大塚だが、由来となった文京区大塚の北に南大塚があり、その北は北大塚という地名になっている。宛ら品川のような自体になっている。
新宿のように由来となった新宿区新宿が残っていても、「新宿」のイメージといえば西新宿の超高層ビル街であったり、ヨドバシカメラであったり、新宿高島屋であったりとどれも皆旧内藤新宿町の範囲ではない。


山手線の駅名が不適当であるために、現在はこんなにひどい状態となってしまった。
特に駅名に目白や高田馬場のようなことは絶対にしてはいけない(戒め)
駅名、又は新地名を付ける際は、十分検討の上、その地にあった地名を付けてもらいたい。