DSC_0692
平成廿九年丁酉七月十四日甲午
2017/09/04
IMG_4599
白漘(白浦)停車場

IMG_4600

IMG_4601

DSC_0658
停車場前

DSC_0659

DSC_0660
この辺りは偽の市街

DSC_0661

IMG_4603
白漘川

DSC_0662
赤蝦夷がなんか言ってる

DSC_0663

DSC_0664

DSC_0665
真の白漘へ向かう道。未舗装で車が通る度に砂埃が舞い上がり人権がなかった。

DSC_0666

DSC_0667

DSC_0668

DSC_0669

DSC_0670

DSC_0672

DSC_0673
真市街もこっちの方だが、真が死んでいる。

DSC_0674

DSC_0675

DSC_0676

DSC_0677

DSC_0678
鳥居が見えた。

DSC_0679

DSC_0680
白漘岳の麓に東白浦神社はある。

DSC_0681

DSC_0682

DSC_0683
東白浦神社の鳥居
樺太に現存する鳥居は東白浦神社、恵須取神社、泊居神社の3社のみ(判明しているもの)
ちなみに東白浦とは白浦の東という意味でなく樺太の東海岸にある白浦という意味で、西海岸には泊居郡名寄村に西白浦の地名がある。
白漘は樺太を喪失する明治8年まで白漘と呼ばれ、日露戦争で奪還してからは東白浦、後に白浦と呼ばれるようになった。アイヌ語ではシララオロである。

DSC_0684

DSC_0686

DSC_0689

DSC_0690

DSC_0692
やはり樺太は日本である。

DSC_0694

DSC_0697

DSC_0698
神社関係の遺構と思われる穴

DSC_0699
扁額が落ちている。

DSC_0700

DSC_0701

DSC_0702

DSC_0703

DSC_0704

DSC_0705
白漘港

DSC_0706

DSC_0707

DSC_0708

DSC_0709

DSC_0710

DSC_0711

DSC_0712

DSC_0713

DSC_0714
停車場前では蟹が売られていた。ここで稚内から大泊に渡った船で知り合った日本人男性と偶然再会(彼は車だった)。こんな豊原から離れた片田舎で出会うのヤバすぎる。

DSC_0715
崩れた日本列島

DSC_0716
赤蝦夷の鉄オタ