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平成廿九年丁酉十一月八日丙戌
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JRの停車場前。虚無。嘘をついている。

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第三銀行

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四日市市役所

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百五銀行

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1番街商店街

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津より栄えている。

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四日市市は明治卅年に市制を施行している。
津市は明治廿二年に市制施行しており日本で最初の市であったが、現存県庁所在地のうちで最低の人口(16万人)となり、更には平成十八年に久居市などと新設合併し廃止されている。なんという体たらくであろうか。それに引き換え四日市市は工業で発展し、人口も30万人を超えている。合併で人口を水増しした新・津市も人口は27万であり四日市市に届いていない。現在伊勢・伊賀・志摩を管轄する県である三重県も四日市の所属する郡名に由来するものであり、いよいよ津の正当性が怪しくなってくる。
四日市港は三菱が作り上げた日本で最初のコンビナート(赤蝦夷語で劣っている)で、喘息が発生するほどにまで煙を上げて生産に勤しみ、近年では工場夜景として健常者をも魅了する偉大な国際貿易港である。一方かつて京の外港として栄え、日本三津とまで云われるに至った港湾都市「安濃津」は、現在大口港(松坂)と合体し津松坂港となっているが、その実態は松坂が港湾機能のほとんどを受け持っておりもはや津は港湾としてほぼ機能していない。港湾という自己同一性を喪失した「津」とは一体何なのか。「津」すら失った「」は日本一短い地名の爆誕であろうか。「伊勢は四日市でもつ 津は四日市でもつ」といった燦々たる状況である。

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近鉄四日市停車場