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平成卅年戊戌五月廿四日庚子
2018/07/07
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成田空港 空と大地の歴史館
航空科学博物館に隣接している。ここでどちらに行くかが健常か六万かの分水嶺になっている。

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入内したが健常者は誰もいなかった。

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みんなで守らう我が郷土 東反対同盟

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高度経済成長期に入り、羽田空港では手狭になり、新たに東亜一の規模を誇る新空港を建設する計劃が浮上した。

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新空港建設地に選ばれた三里塚には明治以降に開拓された村々があった。
また、戦後に開拓されたばかりの部落も多く存在した。

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「三里塚空港絶対反対」
戦後に荒地を開拓し、やっと生活が安定してきた開拓者だったが、国によってその生活が奪われてしまう危機が迫り、空港反対運動が行われるようになった。当初は地元の農民だけが反対運動を行っていたが、当時は学生運動が盛んに行われていた時期であり、ここで左翼が介入したことにより反対運動は泥沼化していく。

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国際空港粉砕・不当弾圧抗議2・27緊急集会

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空港粉砕

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次第に反対運動の主導権は農民から左翼に移り、ただ暴れたいだけの劣った者もも立つようになり、ついには死人が出てしまう。左翼同士でも内ゲバが起こり、収拾がつかなくなってくる。

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一坪地主
空港用地の買収を煩雑化するために地番を無数に分筆し、所有者を細かく割り振った。
木を伐採する際には所有者の許可を得ないと伐採できない法律を利用した立ち木トラストも同時に行われた。

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空港ができる前の三里塚

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現在の三里塚空港
現在でも三里塚闘争は続いており、空港内にいくつかの未収用地が存在する。三里塚物産や東峰神社が有名。