平成卅年戊戌七月廿日甲午
2018/08/30
資料館ジャッカ・ドフニ入口
ここにはかつて樺太に住んでいたヰルタ「ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(北川源太郎)」氏が設立した樺太アイヌ、ヰルタ、ニヴフの資料館「ジャッカ・ドフニ」があった。
ジャッカ・ドフニとはヰルタ語で「大切な物を収める家」という意味である。
平成廿二年に閉館したが、その資料は北方民族博物館に移管されている。
草萊に打ち捨てられた一本の標柱は日本人に忘れ去られた北方民族そのもののようであった。
合同慰霊碑「キリシエ」
こちらもゲンダーヌ氏が建立したヰルタ・ニヴフの慰霊碑である。
天都山の林間の目立たない場所に佇んでいる(位置はExifから拾ってほしい)。
静眠
赤蝦夷と日本に翻弄され、五十度線により民族を分断されたヰルタとニヴフ。戦後は十年シベリアに抑留され、故郷樺太への帰還も叶わず日本に住むことになったものの日本国籍が与えられず、差別を受け続けてきた。日本人に忘れ去られた北方民族のことを知ってほしい。
北見の町が広がる。
北見はヰルタやニヴフが(比較的)多くいる町で、𡄳哈嗹に住むニヴフによると、北見は郷土の風景に似ていて好きらしい。流氷に乗れば縫江まで帰れる気がすると評されている(ニヴフ -北の隣人-より)。
かつて北見と樺太はオホーツク文化(意味不明、粛慎文化とすべき)で一体の文化圏を成していたので、それが遺伝子に刻まれているのかもしれない。
北海道北見国網走郡北見町
明治十四年まで網走と呼ばれていた町。かつては北見国の中心都市であったが、その座を早々に野付牛に奪われてしまう。現在は網走支庁の庁舎が置かれるなど北見の行政中心になっている。
アプトフォー商店街
北見にも全蓋はある。
網走神社の鳥居
永専寺山門
網走刑務所正門の死骸
北見神社
北見国一宮とされている。